浜口雄幸生家

高知県五台村(現高知市生まれ)1929年に内閣総理大臣に就任。その強烈な存在感から「ライオン宰相」と呼ばれ、大衆に親しまれ、浜口の実直さや正義感、頑固さによる政治家の新年を貫き通す姿は高い評価をうけた。一方で持ち前の正義感などを発揮した金融政策では世界恐慌に見舞われた日本経済に追い討ちをかける結果となり、さらに、晩年の思い切った断行によって反感を買い銃撃された。