吸江庵跡

夢窓疎石が文保2年(1318)執権北条高時の母覚海の招きを避けて土佐に下り五台山麓に庵を建て吸江庵と名付けたという。夢窓はその後、たび重なる鎌倉からの招きを断りきれず土佐を去ったが、室町幕府を開いた足利尊氏が師事したこともあって、当庵の名は明国にも聞え、細川氏や長宗我部氏の保護を受けて栄えた。五山文学の双璧といわれた高岡郡津野庄出身で夢窓の高弟義堂周信、絶海中津をはじめ、多くの高僧が訪れた。

[高知市教育委員会紹介文より]